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スタッフ紹介

経営企画部

小久保浩樹

KOKUBO HIROKI

  • 業務内容

    経営企画部

  • 趣味

    自然が大好きで、キャンプ、釣り、素潜り、登山等のアウトドア全般を好む

  • 特技

    焚き火、水中で魚を見つけること

  • 好きなもの

    海、川、山、空、星、自然の中で味わうお酒

  • 苦手なもの

    単純作業、トマト

     

PROFILE

◆ 波乱のスタート ◆



『このままでは母子ともに危険なので、機器を使いたいのですが……』


母親が19歳と若かったこともあって、
自然分娩が困難となったそうです。


『ただ、機器を使うとお子さんに障害が生じたり、死亡するリスクも……』


医師からそう聞かされた父親。

それでも二人とも危険と言われれば仕方ないと了承。

無事に生まれてはこられましたが、
出生から波乱のスタート。

心配されたようなことは、
どこにも生じてはいない……はず……



◆ ヒーロー ◆



幼少期はウルトラマンや仮面ライダーといった、
ヒーローに囲まれていた時代。

なかでもタイガーマスクが大のお気に入り。

あのマスクが欲しくて欲しくて、
紙袋に絵をかいて穴を開けてかぶり、
成り切って気分上々。

ヒーローのような身体能力を自分も持つと信じてか、
数々の無謀な行動によって絶えない生傷。

子ども時代から現在までに3回の骨折と縫合跡が計24針、
靭帯断裂で人工靭帯とボルトが身体に埋まっているという始末。



◆ 大人でも…… ◆



今でも鮮明に記憶に残る幼少期の出来事。

悪いことをすると真っ暗な物置に閉じ込められるというお仕置きが、
通っていた幼稚園にありました。

そのお仕置きの常連だった私。

閉じ込められても怯えることはなく、
反省もないため繰り返し入れられる日々。

ですが、ある日、
先生が一緒に物置に入ってきたのです。

立っている私の前で膝をつき、
両腕をつかんだ先生が、


『お願いだから言うことをきいて……』


暗い中でも先生が泣いていること分かり、
衝撃が走りました。


『大人でも泣くの!?』


自分がとても悪いことをしていると感じ、
このことをきっかけに、


『人を泣かせるようなことはしない』


と、心に固く誓いました(ホントか?)



◆ 未知のもの ◆



小学生になると、
帰宅するやいなや玄関から中へランドセルを放り投げ、
すぐさま広場や公園や河原に遊びに行く毎日。

家でおとなしく過ごしていたようなシーンは、
一切思い出せません。

代わりに家で思い出されるのはベランダ。

夜はいつもベランダに出て空を眺め、
あるものを探していました。

あるもの、それは、


『UFO』


自分の知らないことに極端なほど惹かれ、
何事に対しても好奇心が旺盛。


『世の中の全てのことを知りたい、経験したい、体験したい』


という欲求が大きいこの特性は、
子どもの頃から今も変わっていません。

子どもの頃から新聞を読むのが好きで、
現在に至るまで毎日ずっと読み続けています。

スポーツやレジャーや文芸など、
分野を問わず様々なことに手を出し、
毎週のように色々な所へ出かけてもいます。



◆ 自分で決めたい ◆



『何をするにも自分で決めたい』


『あれこれ人に指図されたくない』


こんな資質も子どもの頃から明らか。

中学3年生で高校の受験校を決める時、
特に自分では意識をしていなかった進学校を、
親や先生からすすめられました。

当時はまだ学歴社会の色合いが濃く、
良い大学を出て一流企業に入ることが、
人生の成功のように言われていた時代。

勝手にあれこれと期待されて、
自分がどうしたいのか尊重されていないと感じ、
反発心が湧き上がり、


『3年間通うのは俺だから、俺が決める!』


と、あえて大学への進学率が低かった、
底辺レベルの高校を選択。


『この高校から国立大学に入れば文句ないだろ?』


無分別な言葉と決断は、
まさに若気の至り。



◆ プレッシャー ◆



大口を叩いたのだから、
もし実現できなければ面目丸つぶれ。

高校生活にはずっと、
プレッシャーが付きまといました。

しかし進学校ではないため、
大半が卒業後は就職をする学校のゆる〜い雰囲気。

自分を律することがキツイ……

それでも幸運の女神が味方をしてくれて、
なんとか目標達成、有言実行。

こんな話だけをすると、
優等生のように思われてしまうかも知れませんが、
3年間ずっと生徒指導室の常連生徒で、
強面の体育教官の方々にたくさん可愛がってもらいました。



◆ 井の中の蛙 ◆



父親が会社を経営しており、
跡継ぎとして期待されていたのですが、
やっぱりここでも性癖が影響します。

父の会社は電機関連の仕事ですが、
私が大学で選んだのは化学科で、
全く違う方向に歩みを進めました。

その会社は今どうなったかというと、
二人の弟が継いでがんばってくれています。

身勝手な兄とは違い良くできた弟たちに感謝です。

さて、実家を離れ、
一人暮らしでの大学生活がスタート。

なんでも自分で決めて実行するという環境に、
必然的に身を置くことになったことから、
一気に世界観が変化しました。

そして同時に、今までの自分が、


『井の中の蛙』


であったことにも気付かされ、
世の中は知らないことだらけだと悟ることに。

その結果、知りたい欲求がますます強くなり、
大学時代には様々なことにチャレンジし、
多くの経験を積むことができました。

けれどもそうなると、
もう地元名古屋には戻れません。


『東京に行こう!』


自分の世界をさらに広げるためには、
まずは東京を知らなくてはと考え、
東京勤務一本にしぼって就職活動。



◆ バブル時代 ◆



『是非とも我が社にご入社を!』


と、数々の接待を受けてお願いされるという、
今では考えられない時代。

面接日が決まると、
電車の切符が送られてきて、
駅には会社のお出迎え。

まずは食事に行きましょうと、
高そうなお店で昼食をとってから会社へ。


『筆記試験は形だけですから』

『役員面接で失礼があるかもしれませんがご了承ください』

『今この場で内定通知をお渡しできるのですが一応郵送します』


実際の人事部の方の言葉です。

夜も食事に誘われ、
高層階にある高級なお店で飲食。

手配してくれていたホテルに泊まり、
翌朝も社員がロビーでお出迎え。

上場企業でも一人の学生にそこまでするという、
嘘のような話ですが事実です。

若輩者がここまでされれば、
入社を断る理由は見当たりません。

その会社の研究開発本部に所属が決まり、
化学製品の開発に8年間従事しました。



◆ 自分の価値 ◆



『24時間働けますか?』


私が新卒で入社した頃に流れていた、
TVコマーシャル。

今の時代なら完全アウト。

猛烈に働きましたが、
同時に猛烈に遊びました。

仕事が終わってそのまま帰宅などあり得ず、
扇子を振って踊り狂う人々の群れに。

給料の大半は体の中を通って、
トイレに流されていった気がしています。

一方で世の中に存在しなかった製品を生み出すという、
研究開発の仕事はやりがいがあり、
全国各地の企業の要望を受けて飛び回っていたので、
とても充実していました。

社内でも仕事は評価され、
出世コースにも乗ったため将来も安泰に。

けれども、ある疑問が。


『自分には価値があるのか?』


開発した商品が世の中に流通し、
人々の暮らしの中で役立っていることは分かっても、
自分自身が役立っている実感がない。


『自分に値札がつくような仕事はないだろうか?』


突如、転職を考えるようになりました。

転職情報誌を片っ端からめくって目に留まったのが、


『未来を担う子どもたちは、関わる大人次第』


というキャッチコピー。


『これだ!』



◆ 教育の世界へ ◆



それまで全く考えたことのなかった教育業界でしたが、
面接で直接聞いた社長の熱い想いが心に響き、
転職を決意しました。

ちなみにその社長はテレビ出演や書籍出版など、
メディアにも多々露出している結構有名な方。 

人生で出会った人々の中でも極めて稀有な存在で、
かなり大きな影響を受けました。

仕事は学習塾の運営で、
小学校1年生から中学校3年生までの、
主に理数系の授業を担当。

右も左も分からないまま飛び込んだ世界でしたが、
真正面から子どもたちに向き合い、
これでもかと言うほどに情熱を注いでいきました。

授業以外に不登校や非行、
家庭の問題にまで対応するという、
まさに金八先生のような感じで東奔西走。

本気で子どもたちと関わっていると塾の評判も上がり、
生徒数がみるみる増えて全社でナンバーワンの校舎に。

最終的には全10校舎を統括する、
事業責任者を務めることに。

そして一方で本業とは別に、


『子どもたちに様々な体験をさせてあげたい』


という思いから、
国の支援を受けて様々なイベントを企画、実施し、
毎月のように海へ山へと繰り出していました。



◆ 続けられるのか ◆



望んでいた通りの、
自分の価値を測ることができる仕事。

とても充実した日々でした。

ただ、学習塾は基本的に夜の仕事。

帰宅はいつも日付が変わってからで、
太陽が昇る時間になることも。

家族との生活リズムも合わず、
3人の娘たちの寝顔しか見られない。

若く体力があるうちはいいけれども、
このままずっと続けられる仕事なのか?

2度目の転職を決意。

次はどんな仕事に就こうかと考えているタイミングで、


『ウチで働かない?』


と、ある人から声が掛かりました。

当時、会社とは別の団体にも所属しており、
そこで知り合った安井社長でした。



◆ 安井建設へ ◆



『単なる建築会社ではなく、
 家族の幸せをつくる建築サービス業に会社を変えたい』


その想いに対して、
自分なら力になれると感じたことから、
仕事内容も諸条件も詳しく聞かぬまま即断即決。

またもや全く頭になかった未知の世界へ。

2005年3月1日、初出社。


『おはようございます!』


チラッと目を向けられただけで、
みんな無言で無反応。

自分がどの席なのかも分からず、
ただ立ちすくむしかない。


『なんだこの会社……』


初日の正直な感想です。

転職をする度に会社の規模が小さくなったのですが、
こんなにも違うのかと衝撃を受けました。

タバコの煙が漂う中で、
みんな淡々黙々と仕事をし、
出て行く時も帰ってきた時も無言。


『この会社をサービス業に?』


イメージしていた会社とはかけ離れていて愕然とし、
不安しかありませんでした。



◆ 使命 ◆



そこから約20年が経過し、
全く別の会社と言ってもいいほどに、
会社は変わっています。


『家族の幸せをつくる建築サービス業』


今は胸を張って堂々とそう言える会社です。

私自身は入社してからの大半の年月は、
お客様に直接関わって家づくりを支援してきました。

たくさんの幸せをつくってきたと自負しています。

現在は裏方にまわり、
縁の下で支える役割となっていますが、
それでも、


『家族の幸せをつくる』


という使命は変わらないと思っています。

これからも多くの家族の幸せを願って邁進していきます。



小久保 浩樹

MESSAGE

出会いは偶然ではなく必然。
人の縁とはそういうものだと考えています。

限りある人生をどう生きるかは自分次第ですが、
人間は一人では絶対に生きていけないからこそ、
出会いがお互いにとってプラスになるように、
共に歩んでいきましょう!

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